望塚銅鐸(1点)(令和2年度指定)
本品は扁平鈕式新段階の六区袈裟襷文銅鐸で、土製鋳型を用いて鋳造されました。
全高40.2cm、最大幅25.0cm、重量3270gで、鈕、鰭の縁と飾耳の一部に欠損はありますが、全体的に傷みは少ないです。
鈕は幅16.4cmで、2帯の外縁は鋸歯文、菱環は綾杉文で飾られています。身は反りが小さく、両面とも斜格子文による横帯4帯、縦帯3帯の六区袈裟襷文が描かれ、第4横帯の下には鋸歯文を飾る下辺横帯があります。区画内と裾は鋳造後に研磨されています。
鰭は左鰭下端が欠損しており、その他の縁も欠けています。身に対して幅狭で、ほぼ正三角形の鋸歯文で飾られています。右鰭上部には2個1組の半円形飾耳が残っています。 内面突帯の断面形は半円形で、比較的太く、上面に明確な摩滅は認められません。
型持孔の痕は舞に2個、身の上区画に計4個、身下縁に計4個あります。全体に鋳上がりは良く、身の厚さはほぼ均一ですが、X線透過写真によって片面は器壁が薄く、鋳掛けが4箇所あることが確認されている。鋳掛けとその周辺は斜格子文・横帯界線・鋸歯文がそれぞれ完成後に線刻されています。
化学分析(ICP成分分析)によれば、主要原材料のうち、銅85.5%、錫2.33%、鉛7.04%で、錫含有量が非常に低い特徴があります。
出土地は加古川市八幡村上西条(現 八幡町東沢)で、発掘時期は諸説あるものの、大正2年~7年までの間と考えられています。学会への紹介は、大正9年に梅原末治による一覧表で「中西條銅鐸」としての報告が初出です。戦後は、鎌谷木三次をはじめとする研究者によって写真・図面が次第に公表されていますが、これらの写真には本品に貼付されている紙片が見られ、「加古郡八幡村上西條」と判読できます。
このように、本例は播磨地域において出土地が高い確度で特定できる貴重な例で、詳細な科学分析結果もあることから、銅鐸研究においても学術的価値が高いと評価されています。
名称 | 望塚銅鐸(1点)(令和2年度指定) |
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内容 | 青銅器1 |
出土地 | (伝)加古川市八幡町東沢 |
備考 | <参考文献> 難波洋三ほか 2015「兵庫県加古川市望塚出土銅鐸の研究」『兵庫県立考古博物館研究紀要』第8号 |
カテゴリ | 県指定重要有形文化財 |