その他代表的な資料
姫路城の軒瓦
軒平瓦・軒丸瓦の文様には揚羽蝶が用いられています。揚羽蝶 は池田氏の家紋で、輝政の父信輝 (恒興) が織田信長から与えられた麻裃に 蝶文が付いていたことが由来となったとされています。権力者から許された 家紋が、瓦に使われ始めるのは豊臣政権後半期の16世紀末頃で、大名家の 政治的なアイデンティティーが瓦にまで示されるようになりました。
軒平瓦は、文様を入れた部分 (瓦当部) が逆三角形で雨水が滴るような形を した滴水瓦と呼ばれるものです。滴水瓦は当時の中国や朝鮮半島で多く 用いられていたもので、文禄の役(1592・1593年) ・慶長の役(1597・1598年) で朝鮮半島に出兵した大名が、帰国後その居城に取り入れたとみられてい ます。 輝政は朝鮮への出兵に参加していませんが、 ちょうど築城時に流行した 滴水瓦を採用したのでしょう。
名称 | 姫路城の軒瓦 |
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内容 | 軒丸瓦1点、軒平瓦1点 |
遺跡名 | 姫路城跡 |
出土地 | 姫路市本町 |
備考 | 福原会下山人コレクション |
カテゴリ | その他代表的な資料 |